久しぶりに描いたギョーム。
同じく久しぶりにとあるアニメを見ていて、反面教師的に自分の持ち味の事を思い出していました。自分の絵の持ち味は外連味と色気、そこから出す生命感だと。
小さい頃はアニメが好きで、中学生になるまでは良く見ていました。世界で一番絵が上手いのはアニメーターさんだと信じており、漫画を描いていた小学一年生の頃から、自分の絵が硬くなる事と、古くなる事を極端に恐れていましたし、その要素を克服しようともがいていました。
絵画以外の一枚絵にはあまり魅力を感じなくて、漫画である事こそが大事だとも思っていました。今は一枚絵しか描いていないんですけどね。
頭の中で生まれた動画から、逆にコンテを切るように絵的に描き止めていくのが漫画の作業で、文字としてあらわしていくのが作文作業で、今もそれは同じです。膨大な枚数を描くこらえ性が無いがゆえに、なんとか静止画の連続や文章で動きを表そうとしていました。
漫画をあまり描かなくなった今は、頭の中の動画から瞬間を切り取るように絵を描いています。
まだ駆け出しでセミプロだった頃「温かみがある」という感想を頂いた事がありました。
今にして思えば非常に有難い感想だったのですが、当時は自分の絵の野暮ったさばかり気になっていたので「野暮ったいからかもしれない」と、逆に落ち込むという失礼な事を思ったりもしていました。とにかくネガティブだったんですよね、自分の絵に対して。自分の絵を全く信用する事が出来なかった。
小さい頃から目の前にある目標が高すぎて、自分の絵の足りなさだけがわかっていたから。そしてどうやればクリアできるのかもわからなかったから。今も自分の絵の至らないところはすぐ出てくるんですが、それでも昔に比べて「ではどうすれば克服できるか」を、はるかに早くシミュレート出来るので、ネガティブさはあまりなくなったと思います。
さておき、だからその持ち味と目標を忘れているから、立ち止まってしまうんだなあと思いました。
仕事で絵は毎日描いていますが、仕事で必要なのはどちらかと言えば「正確さと正しさ」です。2Dは画作りの砦なので、違和感を削ぎ落して破綻が無いようにしなければならない。
でも仕事で自分の「らしさ」を解放して人の心を惹きつけるための絵というのは正確さ「+α」のものが必要です。
そういう絵をいざ描くとなって、今まで「正確さと正しさ」を求めるのが当たり前になっていた思考の回路を変えなければいけないのにずっとそこばかり見てしまった。だから全然しっくりこなかったんだなあと今更思いました。
言葉で表すのが今の自分には難しいんですが、「ウケ狙い」と「万人受け」は違います。
「これならウケるのではないか」と考えるのが一番良くない。わかっていたのに「正しさ」を重視するあまり、自分勝手にする回路の事を忘れていたんですよね。
私はどう足掻いても自分の持ち味しか出せないから、それを活かして「万人受け」を狙わなければいけなかったのに。
仕事をしているとモチベーションの有無に関わらず自動的に作業する癖もついてきます。なので「無理矢理好きになって描く」のも、自分の奥深くまで取り込まずに喉元で留めたままいい感じの距離感で描いたりする事も可能です。
だけど人の心に訴えかける絵にしたいのなら、胃の中までちゃんと飲みこまないといけない。飲みこむという事は、頭で「正しさ」も担保しながら完全に「我」を出すという事。そこに気付けなかったなあ、と思ったここ数日間でした。
昔、また別のとあるアニメ作品の絵を描かせて頂いた事がありました。名前が出せない仕事なので詳細は言えません。その際、キャラクターデザイン担当で総作監のアニメーターさんからのリテイクが全くありませんでした。自分が外部の人間だからなのかと思ったのですが、そうそう簡単に通るものではないとも人づてに聞きました。なのでこの事は地味に胸の内にしまっていた自慢です。(自慢なので聞き流してやってください)
もうその方にはどうやっても言葉を届ける事が出来ませんし、お礼を言うのもおかしいかもしれない話なのですが、凄く嬉しかったです。今後とも精進します。
