オウガバトル64より、ボルドウィン・グレンデル。2005年に描いた絵のJPGデータが出てきたので、一時間ほど気になる所だけレタッチしている中、改めてふと画力の上達について考えていました。
PSDデータはpixivFANBOXへ投稿しました。ご興味のある方は見てやって下さい。
https://hagios0.fanbox.cc/posts/9359918
主に修正した内容は、顔パーツバランスの調整→立体感→質感です。ライティングや細かな立体を考慮しなかったので、まだ手を入れる余地はありますが、最低限見られるくらいにはなったと思います。二十年前のものが駄目なものである、というわけではないです。
個人的に思う、絵における組織内仕事のスタートラインは、ある程度の「立体の面把握」と「美的感覚の確立」だと思っています。
これが出来ないと応用に入るのが難しく、コンテも切れないし3D前提のデザインがまず出来ません。三面図が描けないでしょう。三面図が必須でなくても、3D担当者さんから聞かれた時に的確に答える事が出来ません。2Dアート、コンセプトアートは画作りの砦です。3Dソフトが使えなくても自分の頭の中で立体を作れる事は必須です。
さて、二十年前の私は立体の把握が曖昧な事に加え、美的感覚も確立されていません。
立体を把握出来ていないとわかるのは、ライティング考慮がまだまだな事と、デフォルメ率の低い絵なのにパーツの面理解が浅いからです。
美的感覚については一目瞭然で、このデフォルメ率でいわゆる人間の標準顔=美しいパーツ配分が出来ていない事からわかります。
ざっと言うと、正面から顔を見た時、顎から鼻下まで、鼻下から眉頭まで、眉頭から額までの距離が1:1:1の比率になっていれば、大体は美しく見えます。欲を言えば更に髪型含めた頭のてっぺんまでで1:1:1:1。
この最低限のラインに、二十年前は届いていません。
ただこれはあくまで平均打率を上げて何でも描けるようになるための土台を作るものであって、個性を売る個人アーティストとして活動するために必須とは思いません。
私は2004年から兼業イラストレーターとなったので、個性で描いていく分には問題なかったと判断しています。そのため、二十年前の絵が駄目であるとまでは言えないのです。
「立体の面把握」が出来るようになるためには、観察とデッサンを重ねる事。
「美的感覚の確立」には、何にでも興味を持って最後まで描き続ける事。
いずれも、必ず毎回振り返りをする事。ただ漫然と描けばいいというわけではないです。
スタートラインに立ったなら、あとは場数をこなす事。
もう一つ、スタートラインに立った後注意すべきは、区切り以上の満足をしない事。
余談ですが、ソーシャルゲームは湯水のようにデザインを制作し続け、特に運用タイトルにおいてはサイクルとスピード感がかなり早いです。そのため、場数をこなしていくために絶好の環境だと、個人的に思っています。
「自分が一番描けている」「今の自分は十分上手い」「他人の絵を添削出来る素質がある」という思考が頭にある時点で未熟だと私は思います。凝り固まった価値観で立ち止まった者に成長はなく、成長の無いものは時代について行けません。
絵の違和感を指摘するだけなら誰にでもできます。絵に興味の無い人でも簡単にわかります。寧ろ、絵を描かない人の方が敏感だとすら思います。だからこそ「不気味の谷」という現象とその名称が美術分野で用いられるようになったのでしょうし、それを審美眼とは言いません。本能です。
立ち止まってしまうのは、根底で自分に自信が無いからだと私は思います。
「自分に自信があるから「一番だ」と思うのでは?」と思われるかもしれません。そうではなく、自分の現状をまっすぐ見つめてイケてない所を洗い出す勇気が無いから、立ち止まるのだと思っています。そしてそれはプライドが高いだけです。
本当に自信があれば自分の欠点を見つめる事が出来ますし、もっといいものが描けると信じる事が出来ます。だから自分を見つめるのが怖くない。怖くないから「一番描ける」なんて虚勢を張らなくてもいいのです。
描ける人は謙虚です。少なくとも自分の絵に対して真摯です。
ついでに言えば、自己の内面を見つめ、人間として弱い部分を認めてやれる人こそ強い人だと思うのもこれに似ています。
自分の弱さに蓋をして、見つめようとしない限り自分を認めてやる事が出来ず、自分を認めてやれない不安からいつか他人を攻撃するようになるでしょう。
私自身傲慢の塊みたいな人間で、これらの価値観は過去の私の過ちと反省から生まれたものです。
私もかつては今より思いあがっていたので、謙虚たれなんて御大層な事を言いたいわけではありませんし、言う資格もありません。そして「形ばかりの謙虚さ」があっても無意味です。謙虚さは、真にある程度使い物になるようになった時、自然と心に生まれるものです。常に自戒としたいところであり、それを一つの指標としています。
なんというか。締めの言葉が思い浮かびませんが。色々と見えてきた事が沢山あったので、これからも精進して参ります。