地方県警察の外郭団体に居た頃の話、その経験に纏わる現在の心境をうっかりXでぼやいてしまったので、今回ちょっとその頃の話をします。タイトル通り、力、そして暴力についての話です。
〇〇年前、初めて勤務先の警察署に行った時に思ったのは「なんだか怖いな」でした。建物は古いし、薄暗いし、何より警察というだけで威圧感がある。しかしそんな気持ちも持って数日。ただの市役所などの公的機関と同じ感覚で勤務するようになりました。
私が居たのは生活安全課、通称生安と呼ばれる課でした。生活に関わる事案や未成年者に関わる事案、性犯罪被害等を取り扱う部署として刑事課から分化した部署です。そのため刑事課との繋がりも深く、中に居る警察官達は刑事です。
「子どもは正義の力が好きです」
手塚治虫さんの「マンガの描き方」という本の中にこのような一文があります。私も幼少期は仮面ライダーをはじめとした正義のヒーローに憧れていた口なので、その気持ちはよくわかります。
警察は公的な権力と物理的な力を持つ組織です。言わば「正義の力」そのものでしょう。それでも私の初出勤時と同じように、大体の人が恐れを感じているのではないかと思います。
生安は刑事課と一緒に飲み会をしていたのですが、ある時の送別会の記念写真を後日見た際「反社の親分の出所祝いみたいやな…」と全員思った程度に、人相の悪い人がそこそこ居ます。というより、つらい事案を扱ったり、暴力的な人を相手にしていく内に、そうなっていくのだと思います。刑事ではない私でさえも、当時の免許証の写真を見ると反社かヤンキーにしか見えない人相をしていました。先日ふと見て自分でもびっくりしました。
そんなわけで、二重にも三重にも怖くなってしまうのではないかと思います。だからこそ、加害者として来たわけではない、単なる手続きなどで訪れる人には、丁重に接しなければならないとも思います。とりわけ、被害を訴えて来る人に対しては尚の事。
ですが経験の浅い内はそういう事もわかりませんし、自らの持つ権威性や暴力性に無自覚です。私でさえも「生安の中に居る=刑事だ」と誤解されてばかりだったので、親世代やそれ以上の年齢の一般の方々から、やたらと丁重に扱われるのが不思議だった事もありました。
ある時、少し年下の若い子がうっかり、お客さんに対して「撃ち〇すぞ!」と言ってしまった事がありました。私はその現場を見たわけでは無く、後から知ったので、どういう事情でそんな事を言ってしまったのかまではわかりません。
いつもやさしい、父よりも父らしい温厚な係長(警部補)が、その子が生安に用事で来た時、急に被疑者に対するみたいな怖い顔になって「あんな事二度と言うなや」と強く言いつけていたのを見て、経緯を知りました。
ご存知のとおり、一部の警察官は常に拳銃を携帯しています。言われた人にしてみたら、たとえ冗談だとしても恐怖でしかないでしょう。当たり所が悪ければ、たった一発で生命を奪ってしまう武器なのですから。
口径によってはまた違うのかもしれませんが、銃は「パン」と、乾いたつまらない音しかしないんですよ。映画みたいな派手な音はしません。あの音を初めて聞いた時「引き金を引くだけで、こんなつまらない音で、何年と積み重ねてきた人の人生が、命が奪われてしまうんだ」と虚しく思ったのも覚えています。
その子も深く反省していて、同じ間違いはもう起こりませんでしたが、その時改めて私も「自分の持つ力を自覚すべきだし、力があるからこそ、絶対に気安く使ってはいけない」と思わされました。だからこそ警察官は警察官足り得る。(最近その自覚の無い警察官が各地で見受けられて嘆かわしい限りですが)そして同時に「強い人間は力を振りかざさない。弱く未熟な人間ほど力に溺れて自らを「正義」だと疑わず、他者を見下す」のだとも思いました。
「子どもは正義の力が好きです」……
子どもほど、未熟な人ほど、力を喜び、正義を見誤る可能性も高くなる。
人間誰でも間違いは起こします。本当は起こさないような教育や社会づくりこそ肝心で、私がしていた仕事がまさにそれでした。しかし私達の力及ばず、零れ落ちてしまう人達は必ずいる。そんな時、正しく反省を促す事が出来るのか、そして本人が反省出来るのかにもかかっていると思います。
実際係長は、その時こそ厳しい態度で叱責しましたが、だからといってその子を「愚か者」と断罪するような事もありませんでした。弱さと罪を自覚させ、更生を促す。無論他者への被害が出た場合、然るべき罰を与える。正しい力の使い方とは、そういうものだと思います。
Xでぼやいたとおり、正義とは何か、力の使い方とは何かを見誤って暴走しがちな人が増えたなと思う事が多々あります。フィクション作品にも、その傾向があるようにも思います。善悪が白黒はっきりしすぎた人物像、本来正義である存在を歪めて悪としてしまう造形、反社の美化、転生で一発逆転、ざまぁ、実は有能な私が追放されて、執着されて困ります、人間は愚か……。
自分の弱さを直視できない、そして他者の弱さ、人間という生物が生来持つ弱さを認められない。正しい力の使い方のわからない人が力を持つのは、恐ろしい事だと思います。力を持てた嬉しさで、自分よりも更に弱いものを攻撃するために使ってしまう。そしてそれが正義ではなく、悪なのだと自覚も出来ない。
細かい事は守秘義務に関わるので言えませんが、陰険な子や所謂ヤンキーは、自分の弱さ、卑怯さに無自覚な点がよく似ています。軽微なヤンキーはある種純朴というか、自分の弱さを認めるのが早い子が多かったようにも思います。いずれにせよ、警察や良心的な大人の介入が間に合わなかった場合、最悪の結果になる点は変わりません。
自らの弱さを正せないゆえに他者に避けられ、人と正しく関わる事が出来ずに弱っている所を、悪人から甘言を囁かれて取り込まれ、「恩義のある悪」を「正義」と信じて疑わなくなる。そんな人々の末路は、力ない人々から人権も金も命さえも奪う、正義でも何でもない、ただの犯罪者です。
先日イギリスの裁判で言われていたような「キーボード戦士」となって暴動を煽動したり、特定の気に入らない個人や団体を攻撃するのも同じ事です。彼らは自分達こそ「正義」だと思い込み、信じて疑っていないでしょう。ああいうものは「また別の正義」ではなく、ただ単なる悪です。
という事もあって「正しくない力」、悪の代表格と言える反社会的勢力を肯定的に扱ったコンテンツにはあまり触れませんし、昔、そのようなコンテンツのご依頼を幾つか頂いた事もあったのですが、申し訳ないながら辞退し続けてきました。今後も反社会的勢力を肯定する事はありませんし、肯定的に美化して描く事もありません。反社会的勢力の実像は、何も立派なものではありません。
それらの社会問題に対して今の私に出来る事なんて大してありませんが、ぼちぼち好きな物を作り続けて、せめて「正しさとは何か」を発信し続けていこうと思います。