美術のトラウマめいた出来事

これまで何度か記事で触れてきた「小学生の頃の美術の授業でのトラウマ」の件について。今となっては笑い話感覚なのですが、子どもの頃の自分にとっては辛い出来事でした。というわけで、満を持してのトラウマ回です。


忘れもしない小学二年生の時。大分県では「高山辰雄賞ジュニア美術展」というコンクールがありまして。担任の先生から「はぎおすさんの絵応募するから」と言われました。そこからがえらい事になりました。

「肌に緑を混ぜて」「もっとたくさん色を混ぜて使って」と指導され、その指導の理由が知りたかった私は「なんで?肌って緑じゃないよ?」と文句を言ったんですが「いいから」の一点張りで、よくわからないまま混色での加筆を続けさせられました。下図、右側のように。実際はもっと汚かったでしょう。


今なら混色の理由はわかります。血管の色、静脈の色が青や緑ですし、反射光もありますから、肌は一色ではない、それはそうです。しかし当時の私がそんな理屈に自然と気付ける筈もなく、渋々描いて出来上がったところ。

先生が、水を含ませたスポンジで私の絵を消し始めました。

勿論、何の断りもなく。

当時の感情を何と言えばいいのか。頭が真っ白になった事くらいしか思い出せません。茫然と見ている私に、笑顔の先生曰く「こうやって消してね、乾いたらまた塗り直して、何度もこれを繰り返して」との事。更に断りもなく、上から勝手に加筆されて。

描いては消し、描いては消し。当時の画材は小学生用の絵の具(不透明水彩絵の具)とケント紙で、消すうちに紙は摩耗し、とうとう一部には穴があきました。

穴があいて絵というものが消えてしまうまで。何でこんな不毛な事を、理由もわからないまま続けなければならないのか。例えるなら賽の河原みたいな状態で、泣きながら消しては描き続けました。泣いているのに先生は止める事もなく、私はもう自分が何を描いているのかもわかりませんでした。

そんなわけで絵は完成し、入選だか佳作だか覚えていませんが、賞を貰いました。あんなに嬉しくなかった賞は生まれて初めてでした。自発的に修正したわけでもない、理屈も知らない。ただ言われるがまま描いただけ。「私の絵じゃない」という感覚しか無かったから。

というわけですっかり美術という授業が大嫌いになり、絵を描く事は好きでも授業に対しては反感しかありませんでした。

幸いというかなんというか、物心つく前から描いてきたせいか、絵に対する執着、上手くなりたい欲だけは強かったので、中学の定期テストの模写などは真面目に取り組んでいました。「絶対あっと言わせてやるからな」の心で。なので成績自体は悪くなく、4以下を取った事はなかったと思います。

それでも美術への怨念は消えず、へそ曲がりかつ怠惰だったので、お寺のスケッチ大会ではお寺の塀の白一面の部分だけを描くというありさまでした。今で言えば見事に中二というものですよね。それで私の美術教育は中学で終わりました。高校は選択制だったので、好きな音楽をとりました。

でもなんというか本当にあまのじゃくというか負けず嫌いというか、面白いもので。美術部の人達が校内に掲示する中で上手な絵を見ては羨ましく思い、もう必要もないのに自主的に模写を始めたのがこの頃からでした。丁度文学やらカトリック文化に傾倒していた頃だったので、自画像は勿論、作家の顔の模写や、サン・ピエトロ大聖堂の模写をよくしていました。たぶんそこからミケランジェロ好きに発展したんでしょうね。小さい頃から好きだったのはレンブラントだったんですが。

閑話休題

この一件について今思うのは「修正は妥当」「しかし理論を教えないのは駄目」「あざとい絵を求めるのはもっと駄目」の三つです。

あの絵は、いやらしい言い方をすると「いかにも大人が好きそうな、大人が理想とする子どもらしいダイナミックさのある絵」だったように思います。応募させようという気にもなる。そしてそこに更に「大人好きのする技法」を加えさせたわけですから、「あざとい絵を描かせましたね」という感想です。

担任の先生は元々好きな先生だったからか、不思議と嫌いにはなりませんでした。前述のように、絵というもの、絵を描くという行為自体も当然嫌いにはなりませんでした。ただただ美術という科目が憎たらしい。勝手に品評されて勝手に加筆されるのが嫌で嫌で仕方がない。そんな感じでした。

このトラウマの件を職場で話したところ、美大出の方からは「たかがそれくらい……」と呆れられました。美大や藝大はもっときっときついんでしょうね。

実際こうしてゲーム会社所属の絵描きになって十年経つと、私自身「たかがそれくらい」としか思わなくなったのも事実です。集団の中の絵描きとして仕事をしていると、それ以上のキツい事は幾らでもありますし、率直な感想も何とも思いません。商品として世に出すものを作る以上、品質に妥協はできません。だからこそSNSには、ネットにはとても書けない罵倒みたいなフィードバックもあるわけですから。でもそれが許されるのは、互いの信頼関係あっての事ですけどね。

藝大の入学式の式辞の定番だったという「皆さんの中でダイヤモンドになれるのは1%だけです。残りの99%は、そのダイヤモンドの砥石として頑張ってください」という風な言葉も、「そうですね」としか思わないのが仕事としての絵の世界かなと思います。

お陰様で私もだいぶ感性や価値観が仕事ナイズされて、恐らくかなり無神経になってきているのだろうと思うのですが、出来れば、この「辛かったという記憶」は忘れず、他人にはやさしくありたいと思います……。

自戒を込めて。