始めてのスポーツ体験は水泳でした。切っ掛けは覚えていませんが、幼少期スイミングスクールへ通っていて、泳ぐことは大好きです。今回は、スポーツについての長いだべりです。
しかしながら、漫画を描く事に精を出していたので、小学生以降は運動がまるで駄目でした。体育は嫌いだし、マラソンはビリか、ビリから数えた方が早い程度の順位。クラブ活動も「図工部」という名の「漫画部」で漫画を描いては校内に掲出していました。
特にドッヂボールは大の苦手で、避ける事については一級品でしたが、受け止めて誰かを攻撃する事が嫌いでした。塀によじ登ってライダーキックの練習をする程度にはヒーローへの憧れと正義感が強かった事もあり、強制でやらされる=攻撃される覚悟も、謂れもないかもしれない相手にボールをぶつけるというルールにかなり抵抗がありました。これは偏見です。その上でですが、今もドッヂボールは苦手です。これは詳細後述します。
スポーツに対する感覚の転機が訪れたのは中学です。
本当は友人と同じ吹奏楽部を希望していたのですが、長らく野球をしていた父から「運動部に入れ」と強制されました。ならば友人の多い卓球部を。と言ったところ「卓球は地味だ(失礼にも程がある)」と反対され、渋々、全く興味のないバレーボール部になりました。有利な点は、背の高さだけです。
ただ、部員が多いお陰もあって、これまであまり親しくなかった級友達と随分仲良くなれました。市内大会ビリ争いをするレベルで弱かったチームでしたが、本当に楽しかったです。ちなみに弱小チームだった理由はひとえに、顧問(バレー未経験)が全く部活に顔を出さず放置され、指導されなかったからでした。それを見かねた校長先生(バレー経験者)が、たまに来てくれる程度で、夏季は既に退職された元校長先生(バレー指導者)にしごかれていたくらいです。反面、伸び伸びと練習出来ていたのでそれはそれで良かったのかもしれません。
それまで体重が標準以下、どころか一回り以上軽く、それゆえ体力も無かったのですが、バレーを始めてから食事量が増え、体重が10kgほど増えた(それでも標準体重には届かず)にも関わらず、体は凄く軽くなり、ストレッチを始め、マラソンも苦にならなくなりました。増えた体重はほぼ筋肉へ行ったようでした。
大会や、他校との交流試合を通しても、新たな視点の獲得など、考え方に多大な影響を及ぼしたと思います。
市内二位の学校と交流試合した際、9割負けましたが、一度だけ勝ちました。一度だけです。ところが相手方のコーチ(中年男性)は大変不機嫌になり、相手部員に対してパイプ椅子を投げつけるなどの酷い暴力行為を働いていました。ただ一度の敗北でだけですよ。
前述のとおり基本的に交流試合でも顧問は来てくれなくて、こちら側は我々学生部員のみだったのでその暴力を止める事もできませんでした。
一方、市内一位をキープしている学校はというと、コーチ(壮年男性)が朗らかで、チームも和気あいあいとしているのが印象的でした。
その対比を見て「暴力に訴えたり、恐怖で選手を支配しても万年二位だから、これらは何も意味のない行為どころかマイナス行為だな。相手方コーチは、感情的で非理論的だ」と、強く思った事を覚えています。
あくまで私や当時の仲間、そして指導者や親の考え方ですが、スポーツは基本的に強く高潔な人を讃え、対戦相手への敬意を持つ事や仲間達との支え合い、そして自分との戦いであって、相手方の失敗を願ったり、喜んだりする行為は下衆のする事だとして忌み嫌うものでした。
これは特に礼節を重んじる剣道で顕著で、倒れた相手に追撃するなど卑劣な行為をすると、ペナルティになります。
バレーで若干治安のよろしくない隣村の中学と交流試合をした際、何の悪気もなさそうに「ミスしろ!」と連呼し、こちらのプレーミスを滅茶苦茶喜ぶので唖然とした事も覚えています。「こんな選手もいるのだな」と。当然その学校は以降忌避され、一切接触を持ちませんでしたし、市内弱小の私達に負け越す程度には強くも無かったです。
スポーツをしているからといって健全な精神が養われるわけでもありません。前述のように、倫理観がどこかに家出しているような人もいるでしょう。きっと、プロにも。そういう人間を、スポーツマンだとは認めたくありませんが。
それでも本当に、楽しかったですね。
初めての剣道の試合で逆胴で有効を取れた時は嬉しかったです。部内で一番強い主将を始め、仲間が物凄く喜んでくれたのもまた、嬉しかったです。バレーボールではブロックに入った際、相手方がアタックをミスってしまってネットごしにボールが私の顔面へ直撃し、一瞬失神したのもいい思い出です。気が付いたら床に倒れて皆に囲まれていました。
夏になると夏季練習や合宿があって、バレーではミスするとおじいちゃんコーチからよく箒で尻を叩かれていましたが、きちんと向き合って貰えるのが嬉しかったです。差し入れのポカリや袋かき氷が滅茶苦茶おいしかった事。何なら冷水器の水が何より有難かった事。剣道の合宿は毎年そのキツさに吐く部員が続出するそうですが、「今年は吐かなかったな」と面白く無さそうに言われた事とか。
ちなみに高校はバレーが特別枠で選手を集める強豪の一角だったので入れませんでした。かなり酷い軍隊みたいな部活内容だったので、勝手な感想ながら、部員の同級生達を見ていて可哀想にもなりました。校内で顧問に遭遇すると、授業中だろうと駆け寄って挨拶しないといけないんですよ。傍目にも異様で、競技に何も関係ない、ああいうおかしな「礼儀」は是正されるべきだと思います。
というわけで高校は進学が目的だった事もあり、何も強制されていませんでしたが、バレーで味を占めたのか、スポーツをしたくてたまらなかったので勝手に剣道部に入りました。本当はアーチェリーか弓道、もしくはフェンシングをしてみたかったんですが、部活がありませんでしたから。
面倒な事もあるんですよ。剣道は特に。
合宿の際は食事の時、部員がコーチや顧問の分を「一番温かい状態で提供するため」最後に用意し、彼らが手を付けるまで自分達は食べてはいけない。日本の剣道は礼節ガチガチですし、大抵の子は幼少期から始めていて派閥もあり、父母会でも変な暗黙の了解や上下関係も存在するので、社会人になって道場に通うのなら、道場の雰囲気を探る必要があります。もしかしたらこれは、剣道が染みついている九州ならではかもしれません。
「幼少期からやっていて、わかっているもの」として進められるので、最初の頃は上座と下座もわからなくて顰蹙を買ってしまいました。幸い、同じく高校から始めた先輩がいたので、随分と助けて頂きました。男女合同の部活で皆仲良く接してくれていましたが、顧問は冷たいタイプでしたし、素人の私にとってはやはりその先輩の存在が支えでした。それくらい、九州、もとい故郷の地域の剣道はエリート主義的で取っつき難い面もあります。
剣道の冬季合宿の際、他校のマネージャーの子の一人が好奇心からか「自分もしてみたい」との事で、稽古、模擬試合に出た事がありました。でもまだ様々な面で準備が足りておらず、「相手が自分を攻撃してくる」事の驚きや対戦相手に面を打たれた衝撃なのか、狼狽えた様子で逃げて泣きながら棄権しました。朗らかで明るい子だったのにずっと落ち込んでしまって、それが本当に可哀想で、慰める事しか出来ませんでした。実際、防具をつけていても痛いものは痛いですし、場合によっては鼓膜が破れます。そして滅多に使う人はいませんが、突きは本当に危険です。
剣道は左手首を骨折してしまった事から中途退部してしまいましたが、社会人になった後、市内の道場へ少し通っていました。師範はやはり元中学の校長先生で、人格的にも実力的にも立派な方でした。そこでたまたまAETとしていらしたアメリカの方が「体験してみたい」と来られた事があったのですが、まあその。体格が一回り大きいからなのか。面の打突が今まで経験のないレベルで痛かったんですよ。初心者なので振りを止める事が出来ない=残心がないのもあるでしょうが、純粋に力が強い。「これがあの時、あの子が味わった痛さかもしれないなあ」とも思った記憶があります。
だからこそ、「スポーツとはいえ他者へ暴力を振るうもの」の一つであるドッヂボールが、全員の同意もなく、体育教育の一環として強制的にさせられる事を疑問に思いますし、そういう意味で苦手です。やるのなら「攻撃される覚悟」を持った人間同士の任意参加とし「暴力を振るい、振るわれるスポーツである」と認識させた上でやるべきだと思います。
ボールは痛いですよ。バレーボールも、慣れてくるまではボールを受ける腕が必ず内出血します。それをわざと当てる競技は、格闘技と同じ括りに思って良い気もします。県体で優勝するレベルの柔道家だった親友でさえも球技は苦手で、ボールをかなり怖がっていました。ボールという飛び道具は、そういう性質のものです。
ともあれ。バレーボールで基礎体力と筋肉が、剣道で攻撃性への耐性と体幹が鍛えられたお陰で、運動的な面では忍耐強くもなりました。精神的な面ではふにゃふにゃですが。スポ根父の押し付けで始まったとはいえ、スポーツの楽しさを覚えられた事は得難いもので、何より技術的にも人格的にも不出来な自分にも優しく付き合ってくれた仲間達にも感謝しています。
水泳は番外として、競技としてではなくレジャーでする分には一番楽しい。競技的な面では100m泳ぐのでいっぱいいっぱいでへとへとになりますし、平泳ぎは不得手です。だけどまるで空を飛んでいるような気持ちになれて、ただ泳いでいるだけで楽しい。
ほんとに水泳は大好きですね。出来ればプールが楽ですが、海も好きです。
海は魚がいっぱいで見ていて楽しいんですが、毒針を持つミノカサゴや、視認できないクラゲは怖いです。幸い遭遇した事は無いながら、恐怖の権化であるサメも。そして浅瀬が終わった後で唐突に現れる底の見えない深さの恐怖が「海は怖い」という認識を新たにしてくれると同時に、その深みへの憧れも強まります。何となく落ち着くんですよ。
中学生の頃、市内各高校の教員らが「自分達の高校がいかに魅力的か」プレゼンするために訪れる習わしがありました。私の母校も他校も基本的に定型的な説明だったのですが、水産高校のプレゼンは「海は怖いです」という、自らの主要分野の否定から始まりました。その事はずっと心に残っていて、学力は低めで校風も荒れぎみな学校だったものの、「真面目なんだなあ」と好印象を抱き、海の怖さを知っていてなお海を愛し、押し付けようとしない姿勢に敬意を覚えました。
人間でも何でもそうだと思うのですが。生命や物事に対して「楽しい」という正の側面だけを見るのではなく、また「醜い」という負の側面だけ見るのでもなく、所謂「清濁」を合わせて認める事が大事だな。と、よく思います。勿論「清濁併せ呑む」が絶対に正しいとも思いませんが。そしてその上で、「正しさ」を作り磨き、見つけていきたいとも思います。絵もそんなもんです。素朴な「お絵描き楽しい」から抜け出て、見苦しいまでの葛藤や嫉妬と苦悩を経て初めて「それでも描く」になって漸く見える景色もあります。
だからこそゲームにおいても絵においても、同人活動など文化系の趣味であっても、変に古参ぶって新規参加者や、まだ拙い人を下に見たり、更にはその領域外の人々を、特に押し付けを嫌がる人に対して、自らは全く歩み寄らない癖に「(我々の高尚な趣味に)無理解な愚か者だ」と馬鹿にする風潮を心底嫌います。人間として不健全な心理だと感じています。
終わりに。
今、切実に海に行きたいです。プールに入って泳ぎたいし、海は眺めるだけでいい。昔からなぜか魚を描く事が好きでしたから、何かしら海への思い入れがあるんでしょうね。父が小型船舶を持っていて乗せられてもいましたが、乗り物酔いが激しい体質で滅茶苦茶吐いたので小型船はご勘弁願いたいですが。
ああ、海が見たい。