個人サイト開設24周年目

 

本日、私の個人サイトは24周年を迎えました。絵は2004年くらいにPainterClassicで描いたもの。この絵を長らく覚えて下さっていた方がいらして、頂いたコメントは大変有難く、大切な思い出となっています。

24年続けられてきたことは本当に感慨深いです。以前の記事で、長いネット生活の中では絵をやめていった人達も沢山見たと綴りましたが、その一方で、プロとして今活躍されている人達も勿論います。私も(活躍しているかどうかはさておき)そのうちの一人ではあるものの、色々あったなあとしみじみ思います。

個人サイト「Owllight Railway」は、GeocitiesのBookend、Soseki通りに開設しました。当時はイラストを公開するつもりは全く無く、学生時代の専攻である日本文学作品の解題(かいだい)を載せるために作りました。当時はぐぐっても何一つ資料が出てこなかったからです。やはり今でも紙の資料、一次資料に勝るものは無いとは思いつつも「ぐぐってすぐ他人の見解が見られたらいいのになあ」との思いからでした。

私の研究対象のメイン作家は遠藤周作で、夏目漱石とは微塵も関係なかったのですが。高校生の頃、「こころ」の二次創作(正確には、「こころの続きを書け」というもの)を現代文の授業の一環として課題にされた事があり、奇跡的に二位を頂いた経験からなんとなくSosekiにしました。滅茶苦茶余談ですが「こころ」の過去話は、先生とKの対抗意識を軸にした小競り合い的な話で、お嬢さんはその犠牲者みたいで可哀想だなと当時から思っていました。

ついでに言うと、日本文学で好きな作家は中島敦と、絶望的な散らかり具合の部屋でおなじみ、無頼派もといデカダン坂口安吾だったんですが、母が遠藤周作の著作のファンで著書に幼少期から触れており、腐れ縁のようなものを感じていた事もあって、遠藤周作の著作を選んでいました。今にして思えば、一番好きな作家はアガサ・クリスティなので、英文学を専攻すればよかったのにとも思わなくもないですが、日本文学ゼミがあまりにも不人気で、かつ、恩師であるゼミ担の教え方や人柄が好きだった事もあって日本文学を選んだ次第でした。私はラノベやファンタジーやミステリ好きなだけで、ほんとは純文学・日本文学ってそんなに好きと言えるほどではなかったんですけどね。作文は好きどころか苦手だったものの、考え込むのが趣味なので解題するのは楽しかったです。

閑話休題

でもサイトにはアイコンなり何なり絵的なものが必要で、アイコン作りや「パソコンでプロみたいな絵が描ける事」に気付いてのめりこむ内、一年も経たずイラストサイトになりました。絵からはどうしても離れられなかった。業が深い、「業」などと宣うにはおこがましい程度の努力しかしていない私ですが、そういう性分だったんでしょう。

その後ちょっと失念してしまいましたが、gooやその他フリーサーバースペースを借りて運用してきて、広告のわずらわしさを感じた事や、さくらインターネットさんが安価にサービスを提供してくれているという事もあって、2007年からさくらインターネットさんにお世話になっています。

サイト名を「ABEND GEBET」や「佳日の朝」と変えたりもしましたが、「もし、開設当初を覚えてくれている方がいたら、探しやすいように」と、元の名前に戻しました。

ファンタジー好きらしく「黄昏」というかっこいい響きの言葉が好きだったのでOwllightと命名したものの「しかしこれから夜(闇)に向かうって、あまりよくないな」という縁起的な意味で改名をしていた次第でした。が、OwllightはTwilightと同義で、Twilightは明け方にも使用される。という事は、その心配はまあ、しなくてもいいのかなと思います。ネイティブではないのでその辺定かではないですが。Railwayは単純に、小さい頃から乗り物が、特に電車が好きだったからです。今も車や電車は好きです。

SNSが登場してからは更新頻度もすっかり減ってしまいましたが、個人サイトだけはプラットフォームの影響を受けず、比較的安心して絵を掲載できるメリットがあります。TwitterがXへ変わった騒動などを経てきても改めて、「HOME」があるという事は、結構な安心感があります。

もし私がサーバー契約の更新が出来なくなってしまったら、その時はすぐ消えてしまうでしょうから、企業運営のSNSに絵を掲載するメリットも勿論あります。デジタルタトゥーとは言われるものの、案外ネットの情報はすぐに失われてしまいます。

以前記事中で語った「JPUG(Japan Paint shop pro Users Group)」も、もはや存在した情報すら残っていません。「ベジェ部」は、設立された方がXアカウントを持っていらっしゃるので、何となく痕跡は知る事が出来るでしょう。でも、それだけです。今もXで繋がっている、長く付き合って頂いている絵描きの知人さんと知り合ったサイトも、今では影も形もなく、私自身もそのサイト名を失念してしまいました。私が記憶している00年代の情報は、殆ど残っていません。

と、ちょっと最後に儚く切ない話をしてしまいましたが、これからもぼちぼち絵を描いていけたらいいなと思います。

更新頻度はまちまちですが、これからも、もしよかったら、お付き合い頂けますと幸いです。

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