描いても描かなくても

 

以前の記事でちょっとずつ触れていたとおり、私は小学一年生の時点で「絵描きや漫画家になるのは現実的な選択ではない。友達から誉められもせず、クラスメイトに漫画描きとしての知名度のない私にそこまでの素質がない」と、思っていた冷めた子どもでした。


さて、Xで「#この絵で仕事が来ました」というタグが流行っていたんですね。クライアントさんが「これは!」と感じた絵がお仕事に繋がったというのは、素敵な事だと思います。

私はというと、何がお仕事を頂く決定打になったのか、わかりません。

何分SNSがほぼない2000年代でしたから、推測でしかありませんが、個人サイト同士のリンク、あるいはサーチエンジンで運よくランキングに掲載されたりした等の要因あっての事だと思います。

少し話を戻して小中学生時代に戻ると、小学校高学年時点で殆どの子がアニメや漫画から離れました。私も「それなら意味ないな」と徐々に見せなくなりましたが、何故かしつこく描き続けていたんですよね。一日描かない事が怖くて仕方がないくらい。

美術に関しては小学二年生で遭遇したトラウマがあって、反骨精神旺盛な反抗的態度で挑んでいましたが、授業やテストでは真面目に模写していました。というより、今にして思えば、模写だろうが漫画だろうが、描く事自体が好きだったんでしょう。

だから「上手くなりたい」という漠然とした目標しかないのに描き続けていて「ただの自己満足で誰に喜ばれる絵でもないのに未練がましく描き続けて、だから辛くなるんだ」と、泣きながらペンタブのペンを折ろうとした事もありました。折れませんでしたが。

そういう事を経てきたので、SNSの数字は大して気にしません(たまに気にはしますし、指標にもします)。日に日に描かない日が増えて行っても、絵が生活の軸から外れて自主的に絵を描く事をやめたとしても、人生が終わるわけでもないのだから。と、段々考えるようになりました。

冷たいような、温かいような、複雑な気持ちなのですが、こう思います。描かなくなった時、自分に厳しくなれなくなった時、私の中の「絵」は止まる。悲しむ事は無い、この先の人生に必要ではなくなっただけだからと。

夜中に泣きながらペンを折ろうとする精神状態に陥るくらいなら、絵から離れた方がいい。

評価は行動の後からついてくるものだと思います。何が切っ掛けかわからなくても、きっと00年代は私ががむしゃらに描いていたから、目に留めて下さった方がいたのだと。

求めるものでも、期待するものでもない。他人は他人ですし、その行動を私がどうこう操作できませんもんね。今温かく見守って下さっている方々にとっても、いつか私の絵も過去になりますし、それくらいの距離感でいいと思います。無理しないでね。飽きさせたくないのでやる事やりますが。

ただ、そんな斜に構えた私にも明確な期待と目標が生まれた事が二度ありました。

一度目はPBWのイラストレーター。いわゆるセミプロになる事。

二度目はゲーム会社のコンセプトアーティストやイラストレーター。プロになる事。

一度目は何度落ちても踏ん張って応募を続けました。具体的に言うとテラネッツさん(現クラウドゲートさん)には結構落ちまして、トミーウォーカーさんには一度目で合格しました。なのでたぶん、相性なんだろうなと漠然と感じました。当時は「どうせそういう機会があるなら挑戦したい」と、結構躍起になっていました。

そして二度目。色々あって地元を離れる事が出来るようになった時、これぞ好機と思い切ってゲーム会社に応募しました。当時ソーシャルゲームがほぼブルーオーシャン状態で、兼業の私にもソーシャルゲームのキャラクターデザインのお仕事をかなり頂けてたので「行ける」と感じての事でした。

それから色々あって、有難い事にシャドウバースのお仕事を頂いた時も、「兎に角目の前の仕事も趣味も全力でこなす」事をし続けた後でした。真相はやはりわかりません。ほんとにわかりませんし、起用して下さった事にも、根性叩き直して頂いた事にも、感謝しかありません。

なので私の経験では「目の前の事にひたむきになる事」「目標が出来たら全力投球する事」この二つが「仕事が来ました」に繋がったんじゃなかろうか。

という仮の結論しか出せません。

あと補足するとすれば現在の評価はシャドウバースという知名度の高いゲームに関わらせて頂いたので、その知名度、後ろ盾のお陰なんだろうなと思っています。折角起用して頂いたので何か力になりたいと頑張ってきたつもりですが、結局、私の方が助けられていた事ばかりで、少し情けないような、申し訳ないような気持ちもあります。

身の回りが猛者だらけなのでいつも不安を抱えていますし、まだまだ足りないと思う事ばかりです。ですが、それもまた得難い環境だとも思います。今でこそ大人しいですが元々血の気の多い性格で、生来面倒臭がりなのと同時に物凄い負けず嫌いでして。

絵を諦めそうになる自分を許せそうな気がするのも「ンな道選ぶわけ無かろうが!!!」という反骨精神が噴き上がってくるのが自分でわかっているから。自分で自分に言っている時は、ある種自分で自分に発破かけているんでしょう。

2D Artistになって上京する事が決まった時「こんなに回り道をしてしまったのは、かつて押し込めていた自分の『絵を描きたい気持ち』に復讐されたからだなあ」と感じました。結果的には良かったものの。今はただ、絵を描く事は祈りなのだと思います。贖罪なのか感謝なのかわからずとも。

仕事についてはなんというか「私じゃ実力不足だけど画力上げるしかねえよなあ」と静かに奮起する局面が多々ありますし。何より置いて下さっている会社に最大限出来る事をしたい。頑張る仲間に恥をかかせたくないし、高い夢を見ていて貰いたいので、最高のものをお出ししたい。

話がだいぶ主旨とそれてしまいました。ともあれ今思ったように機会を得られずに焦ったり、悲しんだり、嘆いたりしている人には「なんとかなるよ」と言いたいです。

絵を人生の主軸から外す事も、完全に筆を折る事も、その人の自由だと思います。24年のインターネットお絵描きの中だけでも、様々な事情で絵をやめていった仲間達をたくさん見てきましたし、その後別の道で幸せになっている人達も見てきました。絵だけが絶対の幸せの形だとは思いません。

ただ、「本当に後悔しない?他人のせいにしていない?」と、一度立ち止まってみては欲しいです。「誰かが評価してくれないから」という気持ちのままだと、何らかの形で、いつか自分自身の気持ちに復讐される事になると思います。

前述の件を返して言えば、絵が絶対の幸せの形だと思うからこそ、描けない事や評価されない事を嘆いたり、気付いたら描いてしまうんだと思うんですよね。だから自分にとって本当に絵が必要なのか、自分は何がしたいのか、内面に問う事は大事だと思います。他者評価などの他者軸ではなく。

来世にはご期待できません。人生一度しかないから。

自分だけは最後まで絶対に自分から離れてくれない自分のファンなので、未練が少しでもあったなら、深く考えずに一旦休んでみて欲しいです。休めばブランクはできますが、自分の立場や絵を客観視する時間も持てます。そして心が絵を求める限り、いつか描きたくなる時が来ると思うから。

私も頑張ります(へろへろ)。

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