絵の変遷と練習の事

 

「絵柄変遷年表」で、ここ10年の自作絵を振り返ってきましたが、物心つく前から絵は描いていたので、残っているものを幾つか掲載します。上に掲載したものは、2000年に個人サイトを開設した際に描いたものです。


当時は日本文学作品の解題サイトでしたが、扉絵がないと寂しく感じたため、PaintShopProで描きました。坂口安吾のファンアートです。


こちらも同じく2000年に描いたもの。当時「ベジェ部」という、ベジェ曲線を使用して描いたイラストを投稿できるサイトがあり、そちらに投稿したものの途中経過です。本来IllustratorやPhotoshopのペンツールで描かれたものが主体だったと思いますが、どうしてもスタイリッシュな絵を描いてみたくて、PaintShopProのペンツールで描きました。Photoshopは高価すぎて手が出なかったんですよね。

また、当時PaintShopPro愛好家によるイラスト投稿サイト「JPUG」もありまして、そちらにも入り浸っていました。


2年後、2002年に描いたもの。この頃はもうイラストを描く事の方がメインになって、PainterClassicで描いていました。好きな画家・彫刻家の一人であるミケランジェロの彫刻や絵の模写をしていたのもこの頃です。

Painterも勿論そこそこのお値段がしたため、ペンタブレットに付属してきたPainterClassicを主に使っていました。寺田克也さんの「ペインタボン!」を穴があく程読み返して、見様見真似で。憧れていたアニメーターさんの一人、西村博之さんのウェブサイト「WESTVILL GRAPHICS」で掲載されいてたコラム(現在は非公開となっています)に触発され、「やさしい人物画」等を参考に模写を強化していた頃でもありました。漫画絵を描くにしても、デッサンという基礎はとても大事なのだと。

また、当時交流のあった「ロミテチオ・コンプレクス・アスタリスク」というサイトを運営されていたオオツカさんが「デッサンは師より数」と仰られていた事に感銘を受けて、兎に角模写に力を入れていた時期でもありました。元々、模写自体は趣味でもちょこちょこしてはいました。美術の授業はとあるトラウマがあって苦手でしたが、描くという行為自体は好きで、模写する事も割と好きでした。


模写の一部。ノイシュヴァンシュタイン城は途中で挫折・飽きていますね。


ここで更に昔の、デジタルで絵を描く前のものをご紹介。小学生の頃、漫画を描いて見せあう事がコミュニケーションの一環となっていたので、ずっと学習帳やキャンパスノートに描き続けていた創作物です。上に掲載した泣いている子のベジェ絵もこの創作漫画「DAWN」が題材で、現在は「終焉のパンドラ」と改題・中身も改訂して趣味の小説として連載しています(現在お休み中)。

余談ですが、ゲーム会社に転職するにあたって、小学生から描いてきた漫画の全てをシュレッダーにかけて処分してきました。なので、スキャナーで取り込んでいた一部だけが残っている次第です。


こちらは2003年に描いたもの。


こちらも恐らく同時期。このあたりだったか、あきまんさん(安田朗さん)が当時「1000枚描いたら変わる」という風な事を仰られていたのに触発されて、コピー用紙500枚ブロックを買ってきて模写から何から色々描いていました。総数は1500枚ほどになったと思います。それも、ほぼシュレッダーにかけてきました。


こちらも2003年、ジム・カヴィーゼルさん主演の「モンテ・クリスト伯」のスチル模写のアナログ水彩画です。クリストファー・ノーラン監督の「メメント」に出会った事が切っ掛けでミニシアターに通うようになり、このあたりから映画の模写もし始めました。


2006年あたりでしょうか。「善き人のためのソナタ」より。見た映画のパンフレットを必ず購入し、一枚は模写していました。


2007年。こちらはただの雑多な模写。鉛筆画です。


話が前後するのですが、こちらは2001年のもの。鉛筆で描いた絵をスキャンしてPaintShopProで塗りました。重点的に模写をしていた時期に困った事、それは、デフォルメのきいた漫画絵が描けなくなってしまった事でした。

一時期危機感を覚えて一人で青くなっていたのですが、その時々にハマッたゲームの二次創作などしているうちに、また元の自分の漫画絵に戻っていきました。二次創作する時も題材の画風にリスペクトを覚えて真似しようとする癖があるので、そういった模倣からの影響もあるのだと思います。

個人差はあると思うのですが、個性というか、元々の癖は小さい頃から変わらないし、嫌でも表にしみ出してくるものだと思います。個人的な経験としては、色んな形での模写(デッサンにしろ二次創作にしろ)をある程度した暁に、より描ける事の幅が増えて、自分の絵が上書きされてくるものだと感じています。

2005年。「星のカービィ64」のファンアート。


2007年。「ゼルダの伝説 夢幻の砂時計」のファンアート。当時二次創作サイトは別に開設していたので、梅という仮のHNを名乗っていました。


2014年。事務屋最後の頃に描いた、頂きものの蜜柑のスケッチ。事務屋の頃も暇が出来ると備品の椅子や、こっそりと上司達の模写をしていました。


2014年。ゲーム会社応募の後に描いたものでした。内定を頂いていたので、この時初めて職場の上司のおじさん達にこの絵を見せて、手放しで誉められたのが嬉しかったです。たぶん、それまでの人生の中で面と向かって絵を誉められた初の出来事だったかなと思います。

お陰で凄く自信がつきましたし、今もこの思い出を大事にしています。

私は元々、「誉められて絵を描いてきた」わけではなく、基本的には貶されたりダメ出しをされてきました。家族からは、勉強や一般的な社会生活の妨げになるから描くなとも言われていました。それでも描いていたのはただ単に「描きたかったから」だけでした。もっと突き詰めれば「頭の中にある空想を、完全に思った通りの形にしたかったから」でもあったかもしれません。

ともあれ、そのあたりの話はまたいつかするとして。ざっくりと、このような感じの絵の変遷でした。


恐らく現存する最古の、幼稚園時の絵。

今日も仕事なのに、眠いのに、うっかりこんな時間。

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